ハンデキャップをもって生きる
龍安寺の石庭
『流れ行く真白き雲に運ばれてわが眼に見たき竜安寺の庭』
12歳で脊椎カリエスになり小学校も中退せざるを得なかった婦人
の作品です。
体が丈夫だったら修学旅行で見たかもしれない竜安寺の石庭。
石庭の白い庭と雲の白さがとても心に残る短歌です。
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龍安寺の石庭
[生きる希望の灯,小さな光を輝かせて!]
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この短歌集に随筆が載っていました。
『小さな光を輝かせて』
人はこの世に生まれた時から、それぞれにみんなに与えられた
一本の道があると思う。
昭和16年は戦時下であったため、病院に行ったけれど薬もなく、
栄養価の高いものもとれなかった。
そんな状況で病状は悪化の一途をたどるのみであった。
家が小学校に続く通路に面していたので、元気に登校していく
子供達の姿が見えた。
眺めていると、子供達は私の家の前に来ると、口を抑えて走っ
ていった。
当時、結核はうつると血を吐いて死ぬと恐れられていたからだ。
発病して7年が過ぎ、19歳になったけれど障害者の私には生きる
希望が何もなかった。
毎日考えることは「死」ということだけだった。
そんな中で唯一の楽しみは本を読むことであった。
ある日、世界のベストセラーと言われる聖書を知った。
読んでみたけれど意味が解らなかった。
だが「悲しんでいる人たちは幸いである。その人たち
は慰められる」と書かれた言葉にひかれ、教会に行き、
多くのことを学んだ。
病気や悲しみ、苦しみは決してマイナスばかりではな
いと悟った。
あの三重苦の故に世界の聖女といわれたヘレン・ケラー。
難病に冒されながら「氷点」を書き、多くの人々を光
へと導いた三浦綾子さん、頚椎損傷のゆえに体を動かす
ことができず、口に絵筆をくわえて詩画集を書いている
星野富弘さん等々・・・。
私も20年病んだがストレプトマイシン(注:結核に効果
のある抗生物質)のおかげで結核から解放され、勤める
こともでき、昭和50年には優しい夫と巡り合って結婚、
今は71歳となった。
?T.いまの幸せを見つめて、ゆとりのあるくらしをしよう!
?U.やさしいこころで,ゆったりと楽しいくらしをしよう♪
?V.夢と希望にあふれ、ゆっくり生きましょう!
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